落合 兼置(おちあい かねおき)は、戦国時代の武将。日向伊東氏の家臣。

生涯

天文4年(1535年)、誕生。落合氏は伊東氏庶流。伊東氏祐が日向国に下向する際、付き従い被官化した家系にあたる。

伊東家中においては「山東惣奉行」という独自の役職で特筆され、家老(御感状連判人数)とは区別されていた事が分かるが、具体的な職掌は不明。島津氏側の史料には「日向惣奉行」として名が残る。また、大将としての活躍も多く、特に永禄6年(1563年)の目井古城の戦いでは、島津豊州家を相手に寡兵で良く持ちこたえ島津軍を放逐し、勲功第一と賞された。

元亀3年(1572年)、木崎原の戦いで敗北を喫した伊東軍の殿を務め、戦死した。


1877年6月延岡で撮影の西南戦争、西郷軍兵士。右手にエンピール銃、腕章には「奇兵廿番中隊、右二番分隊 落合兼充」とある。 Boshin

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落合芳幾による浮世絵「「左金吾より兼 市村羽左衛門」」

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練習 高橋宏 落合ヘッド兼投手コーチ:中日スポーツ・東京中日スポーツ