ワコーチカコ(欧字名:Wako Chikako、1990年4月18日 - 2016年12月7日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1994年のエプソムカップ、函館記念、1995年の京都記念、金杯(西)。
戦績
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1992年9月5日、函館競馬場での3歳新馬戦でデビューし、3着。2戦目2着のあと、3戦目で初勝利を挙げる。きんせんか賞でスエヒロジョウオーの2着ののち12月のエリカ賞でのちのジャパンカップ勝ち馬マーベラスクラウンを1馬身4分の3差下し、2分3秒9のレコードタイムで制する。このあと、指骨骨折により休養を余儀なくされ、翌1993年のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別で復帰、急仕上げで臨みながら3着に入るが、本番の優駿牝馬(オークス)では出遅れて9着に終わる。オープン特別の白百合ステークス2着のあと900万下特別戦のやまゆりステークスを勝って3勝目としたが、レース中に右前脚第一指骨骨折を発症して再度休養に入り、11月に帰厩するが年内は出走しなかった。
5歳初戦の白嶺ステークス5着のあと、4月の船橋ステークスを勝ってオープンクラスに上がり、メトロポリタンステークス4着を挟んで出走のエプソムカップでは3番手から押し切る競馬で重賞初勝利を挙げた。夏には札幌競馬場に向かい、オープン特別の道新杯を勝って8月の函館記念でもタイキブリザードを3馬身差下して重賞2勝目を挙げた。秋初戦の朝日チャレンジカップでもツルマルガールの2着となるが、天皇賞(秋)は12着、阪神牝馬特別でも7着に終わった。6歳となった1995年、初戦のスポーツニッポン賞金杯でアグネスパレードを下して重賞3勝目、阪神牝馬特別から騎乗していたオリビエ・ペリエにとっても、これがJRA重賞初制覇となった。2月の京都記念でもライスシャワー、ナイスネイチャ、チョウカイキャロルなどを負かしつつ2分11秒8のレコードタイムで重賞4勝目を挙げ、これが最後の競馬となった。
競走成績
以下の内容は、JBISサーチおよびnetkeiba.comに基づく。
引退後
引退後は生まれ故郷の野島牧場にて繁殖牝馬となり、6頭の産駒を送り出した。繁殖生活から引退してからは新ひだか町のローリングエッグスクラブで余生を送っていたが、2016年12月7日未明に疝痛を発症し、容体が回復しなかったため安楽死の措置が取られた。
産駒一覧
血統表
- 主たる近親にマチカネタンホイザ(目黒記念、アメリカジョッキークラブカップ、高松宮杯、ダイヤモンドステークス)、ダンツジャッジ(アメリカジョッキークラブカップ、ダービー卿チャレンジトロフィー)、メイショウラムセス(富士ステークス)、レオマイスター(ラジオNIKKEI賞)、マイネルスターリー(函館記念)。
脚注
参考文献
- 「関西競馬四季報 1993秋季号」『競馬ブック』第14巻第3号、ケイバブック。
- 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。
- 「関西競馬四季報 1994秋季号」『競馬ブック』第15巻第3号、ケイバブック。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeibaJBISサーチ



