オーハヤブサ(1959年3月3日 - 1984年12月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬・繁殖牝馬。1962年のオークスを優勝。
経歴
生い立ち
小岩井農場の基礎輸入牝馬の一頭・ビューチフルドリーマーにルーツを持ち、兄弟には皐月賞馬ケゴン、重賞5勝のチエリオ、朝日杯3歳S馬マツカゼオーがいる。ケゴンとチエリオは作家の吉川英治が所有した馬で知られる。
戦績
藤本冨良調教師の息子藤本勝彦が主戦騎手となり、1961年(3歳)夏の福島でデビュー。オープンと福島3歳Sで後に障害馬としてフジノオーのライバルとなるタカライジンを破り、1962年(4歳)は正月の中山4歳牝馬特別でトーストの3着。京成杯で牡馬を抑えて重賞初勝利を挙げ、桜花賞を目指して関西に入る。前哨戦のオープンでトーストの2着とし、本番は同厩ケンホウの4着であった。東京に戻ると、オークストライアルの4歳牝馬特別で殿負けの12着と大敗。優駿牝馬はこの年からバリヤー式発馬機に代わりスターティングゲートが採用され、桜花賞1、2着馬ケンホウとトーストが抜けた上位人気を形成。前走殿負けのオーハヤブサは8番人気であったが、高松三太を背に逃げる15番人気のフアラデイバを捉えて枠連1-6、6920円の波乱となった。9年前のオークスで1番人気になりながら敗れた姉チエリオの雪辱も果たし、鞍上の藤本勝彦は初めてにして最後の八大競走・GI級レース制覇・クラシック制覇となった。ケンホウは14着、トーストは19着と惨敗。その後は連戦連敗を喫してしまうが、1964年(6歳)1月の中山オープンで1年半ぶりの勝利を挙げて引退。
引退後
引退後は1965年から繁殖入りし、11頭の産駒を送り出した。直仔に活躍馬はいないが、派生した千代田牧場のワールドハヤブサ系からビクトリアクラウンやニッポーテイオー、タレンティドガール等が昭和50年代から60年代にかけて活躍。牧場の基礎牝馬となり、2020年代に入ってからもホエールキャプチャ、パクスアメリカーナ、グレイトパールと末裔が残っている。
競走成績
- 1961年(3戦2勝)
- 1着 - 福島3歳ステークス
- 1962年(10戦2勝)
- 1着 - 優駿牝馬、京成杯
- 3着 - 4歳牝馬特別(1月中山)
- 1963年(12戦0勝)
- 1964年(2戦1勝)
※太字は八大競走を含むGI級レース。
おもな牝系図
- ---↓オーハヤブサ牝系
牝系図の主要な部分(太字はGI級競走優勝馬)は以下の通り。
牝系図の出典:Galopp-Sieger
血統表
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ




