北条 時俊(ほうじょう ときとし)は、鎌倉時代末期の北条氏の一門。

延慶3年(1310年)7月の時点で、評定衆に在職しており国政に参画した。後醍醐天皇らの討幕運動(元弘の乱)では幕府方の武将として出陣する。

大仏高直らと共に、河内金剛山の千早城に立て籠もっていた楠木正成を攻めていたが、足利高氏の離反や六波羅探題の滅亡もあって軍は四散した。時俊は反幕府勢力への抗戦を諦め、元弘3年(1333年)6月、般若寺で出家し降伏した。翌建武元年(1334年)、北条氏の残党らによる鎌倉侵攻事件などがあった影響から、北条氏一族の徹底的な殲滅が強められることになり、高直や、北条貞宗、北条治時、長崎高貞らと共に京都の阿弥陀峰で斬首に処された。(『太平記』巻十一「金剛山寄手等被誅事付佐介貞俊事」)

参考文献

  • 『北条氏系譜人名辞典』(北条氏研究会 新人物往来社)
  • 『尊卑分脈』(新訂 増補国史大系)

北条時宗

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