ヘレン・シャルフベック(フィンランド語: Helene Schjerfbeck、1862年7月10日 - 1946年1月23日)は、フィンランドの女性画家。

略年譜

3歳のときに階段から落ちて腰を痛め、足が不自由になった。小学校には通えなかったが1873年の秋、11歳のときにフィンランドの芸術協会(Suomen Taideyhdistys)の描画学校で美術に入学。1880年、18歳で政府の旅行許可を受け、奨学金を得てパリに渡り、写実主義の画家レオン・ボナに学び、私立の美術学校・アカデミー・コラロッシで学んだ。

1883年にイギリス人の画家に会って婚約したが、1885年に一方的に婚約を破棄された。 1885年春にパリの有名なサロンで初めて展示。1889年のパリ万国博覧会で銅賞受賞。

1890年代に、ヘルシンキのフィンランド絵画協会の美術学校(現在の Taideyliopiston Kuvataideakatemia)で教え始め、教えた学生にはヒルダ・フルディーン(Hilda Flodin: 1877–1958)らがいる。病気がちなこともあって、1902年に職を辞すると、有名な療養所のあるヒュビンカー(Hyvinkää)に移り、母親の世話をしながら作品を描いた。1917年にヘルシンキで最初の個展を開いた。

フィンランドで最も尊敬される画家の一人であるが、当時は同世代の人からは批判されていた。1917年にGöstaStenman主催の個展の後にファンを獲得し始めた。

1923年に母親が亡くなった後、1925年からウーシマー県の沿岸の町エケネスに住んだ。1939年にロシアとの戦争のためエケネスを離れ、その後スウェーデンに移り、ストックホルム郊外のサルツヨバーデン(Saltsjöbaden)に移り、1946年にそこで亡くなった。

作品

  • 洗濯干し 1883年 - フィンランド国立アテネウム美術館蔵
  • 扉 1884年
  • 自画像 1884-1885年
  • 母と子 1886年
  • 快復期 1888年
  • 雪の中の傷ついた戦士 1880年
  • お針子(働く女性) 1905年
  • 赤いりんご 1915年 - フィンランド国立アテネウム美術館蔵
  • 黒い背景の自画像 1915年 
  • ロマの女1919年
  • 諸島から来た女性 1929年
  • 黒いりんごのある静物 1944年 - ディドリクセン美術館蔵
  • 自画像、光と影 1945年 - ユレンベリ美術館蔵

日本における主要な展覧会

  • 東京展 東京芸術大学美術館 2015年
  • 宮城展 宮城県美術館 2015年
  • 広島展 奥田元宋・小由女美術館 2015年
  • 神奈川展 神奈川県近代美術館 葉山 2016年

脚注

外部リンク

  • 公式HP
  • Biografiakeskus
  • 神奈川県立近代美術館

ヘレン・シャルフベック @東京藝術大学大学美術館 セレンディピティ ダイアリー

ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし @東京藝術大学大学美術館 Art & Bell by Tora

黒い背景の自画像 1915 シャルフベック 自画像, ペインティング, 絵画

【美の扉】「ヘレン・シャルフベック-魂のまなざし」 北欧の画家の知られざる魅力 産経ニュース

ヘレン・シャルフベック(Helene Schjerfbeck)Ⅳ mitosyaのブログ