渋谷 礼(澁谷 禮、しぶや れい、1847年1月20日(弘化3年12月4日)- 1912年(大正元年)12月6日)は、幕末の武士(人吉藩士)、明治期の政治家。衆議院議員、熊本県球磨郡一武村長。幼名・練助。
経歴
肥後国球磨郡人吉麓町(熊本県球磨郡人吉麓町、人吉町字麓を経て現人吉市麓)で、人吉藩家老・渋谷巴山の息子として生れた。藩校時習館で学び、田代自養に師事し朱子学を修めた。槍術も習った。1862年3月7日(文久2年2月7日)人吉で大火(寅助火事)が発生し、その後、犬童権左衛門とともに薩摩藩に復興資金5千両借財の依頼に赴き目的を果たした。また、薩摩藩士・中原尚介に西洋兵法、英国式砲術を学び、藩兵分隊長、小隊長を務めた。
廃藩置県後、1872年(明治5年)球磨郡一武村(現錦町)に移り帰農した。1876年(明治9年)第十四大区議員、熊本県会議員に選出された。1893年(明治26年)一武村長に就任。その他、一武村会議員、球磨郡連合町村会議員、球磨郡会議員、同参事会員なども務めた。
1887年(明治20年)から肥薩線鉄道開通の運動を担った。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(熊本県第5区、立憲革新党)で当選し、衆議院議員に1期在任し、肥薩線運動委員となり活動した。その後も運動に従事し鉄道の開通に貢献した。
その他、農業諮問委員、肥後山林会議員、球磨郡産牛馬組合創立委員長、同組合長、肥後山林協会議員、肥後農工銀行設立委員、同監査役にも在任し、地域の産業振興に尽力した。
脚注
参考文献
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。239
- 荒木精之『熊本県人物誌』日本談義社、1959年。
- 角田政治編『肥後人名辞書 全 複刻版』青潮社、1973年。
- 熊本日日新聞社・熊本県大百科事典編集委員会編『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 井上智重『言葉のゆりかご - 熊本ゆかりの人物語録』熊本日日新聞社、2015年。




